移動販売のメロンパン

移動販売のメロンパン

最近、移動販売でメロンパンを売っている車をよく見かけます。

私もこのメロンパンが大好きで

売っているのを見かけるとついつい車を止めて買ってしまいます。

価格は130円から250円で販売されていますが

種類も豊富で、普通のメロンパンからイチゴ味、チョコ味

チョコチップ、ラスクなど様々です。

色々なバリエーションが安く味わえるので

何度買っても飽きない味になっていると思います。

ただ、移動販売なので同じ場所に買いに行っても

いつそこにいるのかが分らないのが難点で。

食べたいなと思った時ほどいないんです。

でもそこが、購買意欲をそそる所で

見かけるとついつい買ってしまうそんなスパイラルに陥ります。

そんな話を友人としているとどうやら友人も同じらしく

移動販売って以外とそこの心理をついて販売しているのかもね

と二人で妙に納得してしまいました。

数日後、たまたま通りかかった電気屋さんの駐車場で

あのパン屋さんを見かけました。

ここでも販売してるんだと思いながら

今日は特にお腹が空いてるわけでもないからと

メロンパンを買うのはやめようと思い通り過ぎようとすると、

またいつ出会えるか分からないという衝動にかられ結局買うはめに。

移動販売の心理に負けた気分になりつつ

焼き立てのメロンパンは悔しいけどおいしい。

メロンパンをほおばりながら、ふと思うことが一つ

車でメロンパンを焼きながら販売しているんですが

あのオーブンって熱くなったりしないのかなと。

私も家にオーブンがあって、たまにパンを焼くのですが

すごい熱さになるんですね。

あれを狭い車の中にいれて、さらにメロンパンを絶えず焼くと

考えただけでも熱い。

それでも、メロンパンを買おうと並んでいても

特に熱さは感じないから不思議。

まあ、私としてはおいしいメロンパンが食べられれば

それでいんですけどね。

こうやって、文章でメロンパンのことを書いていると

ふと食べたい衝動にかられてしまいました。

明日、早速あの電気屋さんに行ってみたいと思います。

今度はメロンパンだけじゃなくて、新商品のイチゴや

チョコチップを食べてみようと思います。

こうやって、探してでも買って食べる人もたくさんいると思うので

以外と移動販売って儲かるのかもしれないと思いました。

平成もすでに

銀行とか、何か提出する書類にかきこむときに日付を書くときにふと戸惑ってしまいます。今年は何年だったっけ……?

平成、と書いて、それから24年かとなぜか毎回おどろいてしまうのです。私のなかではついこの間、「平成」という年号に変わった気がするのに、それはすでに20年以上すぎているということが、毎回毎回書くたびに「へぇ」と小さな驚きを感じてしまうんです。

今では「昭和」というと、レトロの名称のように思えます。でも私たち40代~にとっては、昭和はまさに昭和で、青春をすごした日々ともいえるでしょう。昭和の歌は「懐メロ」で、昭和の日々は「郷愁」」を帯びて、昭和時代は「レトロ」であることに、どうしても違和感を感じてしまうのです。

昭和はついこの間までのことで、昭和生まれが当たり前で、「明治」とか「大正」というのが遠い時代のはずなのに。

平成という年号にも、考えてみれば20年以上がすぎてすっかりなじんでいるはずなのに、どうもまだまだ手垢のついてない、真新しい感じさえするのです。別の言い方をすれば、今ひとつ、しっくりとこない。「平成」と言われても、「ふーん」という感じなのです。

昭和にも明治にも、暗い事件や難しい時期や大変なときがあったわけですが(まして戦争というもっとも苦しい時代があったにもかかわらず)、なぜか昭和も明治も力強い、前へ進む足音が聞こえてくるような印象があるのです。深く皺がきざまれた顔が、しかし紅潮して力任せに進もうとする強さを思い起こすのです。

ひきかえ、平成はまるでその字が示すとおり、なんとなく、ひらべったく、起伏がない。

もっとも今現在、平成24年は不況が長く叫ばれ、政治不信は大きく、そして原発などの厳しい問題を抱えているのです。それなのに、なぜか、あまりインパクトのない、どこか生白い顔が浮かんできます。なんとなく、さっぱりとして、それでいておぼつかぬ足取りで、ふらりふらりと歩いている平成という年号を私は脳裡に描いてしまうのです。

年号は、自分が生まれて青春をすごした、あるいは「幸せだった」その期間があてはまるときにもっとも「なじんだ」年号となって記憶に残るのでしょうか。

息子たちはみな、平成生まれです。「うちの親は昭和だからなぁ」なんてそのうち言われるのでしょうね。